『サピエンス異変』を読んで〈第2部〉
それでは、
第2部 紀元前三万年~西暦1700年
第3章 人類は「定住」に適応していない?
第4章 家畜は何を運んできたのか?
第5章 古代ギリシャ・ローマ人の警告
に入りたいと思います。
(最初から読みたい方はこちらから)
とにかくショッキングな内容が多い章です。
(喜ぶべきは、虫歯は私だけの問題ではないということか?)
著作権の関係で写真やイラストを掲載することができなく、またすこし長いので読むのがたいへんかもしれませんが、
第2部で扱う期間は、紀元前三万年~西暦1700年です。
第1部(紀元前八〇〇万年~紀元前三万年)と比べれば短いものの、それでもよくわからないですよね。もちろん私はさっぱりでした。
三万年前というのは、だいたい人類が定住生活(農耕)をはじめたとされる時期だそうです。
本書がヒトの誕生(八00万年前)から始まっていますので、そう考えると本当に最近のことのように感じますよね。
たぶん三万年前から二万五千年前のある瞬間、どこかの誰かが、ここに水があり、食べ物や住まいの材料も豊富にそろっているのだから、もうこれ以上移動する理由はない、と決めたのだ。
(中略)
農耕が定住の結果だったのか、あるいは定住が農耕の避けようとして避けられない副産物だったのかを知る人は誰一人いない。page64
なんだかわからないけど、このあたりで(三万年前ぐらいに)農耕をはじめたということらしいです。
きっと農業の方が動物を追うよりも楽で、しかも食物を増やしたり蓄えたりすることができるから便利っ!そこにやっと人類が気づいたー笑!
なんて想像してしまいそうですが、実際はそんなことではなかったような気がします。
だって実家が田舎にある人はわかると思いますが、農業って中途半端じゃできないんですよね。
毎日水をあげなければ枯れるし、日照りや、害虫、害獣など、気にかけなきゃいけないことが山のようにあります。
これまで木の実を拾って食べたり昆虫食べたり動物を追いかけまわしてたヒトが、おっ!それ便利じゃん!なんてかんたんに始められるようなことではないわけです。
それでは、なぜ人類は農業をはじめたのか。
それは農業をするしかなかった事情があったんだと考えるのが自然な気がします。
なぜなら農業はヒトの身体に向いてないため(骨の形を変えてしまうほどの)著しい負担を強いるからです。
それでもやるしかなかった理由はなんだったのか。
五万年前から四万年前に大寒冷期が訪れた。
(中略)
このとき、人類の世界総人口は一万人にまで減ったとも想定されている。page 43
ここにあるんじゃないかと。
世界で人口が一万人、、もはや絶滅危惧種に指定されるレベルの数です。
もともとどのぐらい居たのかもわかりませんが、
とにかく厳しい環境の中、たまたま撒いた種が芽を出したことに気づいたヒトがなんとか農業っぽいことをして生き延びて、世代をつないでゆっくりと広がっていった。
そんな感じだったんじゃないかと思うんです。
つまり『農業』こそがヒトが生き延びるためのギリギリの絶滅回避策だったんじゃないかと。
(あきらめなかったから今がある?)
もちろん証明できるものはありません。完全な想像です。
ですが私もそこそこ生きてきてわかりましたが、現状がうまくいっていればいるほど変化を求めることってしないじゃないですか。
ましてや種まいて芽が出るのが何ヶ月も先なんて、胸に手をあててみるまでもないわけです。(文字どおり芽が出ない可能性だってあるわけだし。。)
だから、外的要因(大寒冷期)があって定住せざるを得ない状況になって農業が奇跡的にうまくいったと考えるのがすごく自然な気がします。
そしてその結果(いいことばかりじゃなく)
食べ物が蓄えられるようになりました(よかった!)
これまで少人数で移動していた集団が大所帯を持つようになりました(まーよかった!)
複雑な社会(階級)が形成され(つらいかも)
果ては領土を奪うための戦争が始まりました。もちろん目的は奴隷の確保と農土の略奪です(キビシイ!)
こう考えると窮余の策で生き延びることができたものの、本来の生活スタイルとまったく異なる生き方をしなくてはいけなくなってしまったんだと思うんです。決して本望ではなかったと。
(声)ワシかてそんなつもりじゃなかったんじゃ。。あとでそんなぁことになるにゃーなんて。。
なんてね。
都市国家の勃興を見るとき、あきらかな疑問が生じる。
選択の余地のなかった奴隷をのぞけば、なぜ大衆は自ら自由を捨て去り、他人のために食糧を生産することに同意したのだろう?
おかげで、他人が自分より自由に生きられるだけだというのに。
なぜ政治家や官僚が豊かな暮らしを楽しむのを許したのだろう?
答えは、間違いなく戦争に対する恐怖にある。page 100
そりゃ誰だって殺されるぐらいならなんだってやります。
だから農業が急速に発展した背景として、目的がある時点で「守ってもらうため」になったのだと著者は推察しています。
とにもかくにも農業がヒトの社会のあらゆることを変えてしまったことは事実のようです。
そしてこの本のテーマである、私たちの身体へもたらした変化についてですが、
歯について述べることは、私たちの進化全般について述べることに一番近いといってもいいほどだ。
歯は私たちと私たちの祖先やほかの哺乳類とのつながりを教えてくれるし、歯の摩耗やひび割れは文化と環境を物語る。page70
(歯は硬いので化石として見つかりやすいこともあり、貴重な情報源です。)
ヒト族たちのあごと口が小さくなるにつれて何かがうまくいかなくなったようだ。
農耕がはじまるまでは、不正咬合や転位のあるホモ・サピエンスは見られない。
その後、農耕がすっかり定着した頃に、歯が頭のなかに収まり切らなくなったらしい。
(中略)
虫歯についても同じことが言える。農耕がはじまる前、化石記録に虫歯が見られる割合は非常に低かった。page 72, 73
食べ物が穀物中心へとなるにつれ
噛むことが減ったのであごを小さくして、
ついでに歯自体も小さくしちゃって(象牙質部分を減少させて!)
歯の本数も減らして、
あごの中に収める試みをしてきました。
(もはや美容整形のレベルじゃない!)
でも、身体はこの急激な変化についていけるわけもなく、
親知らずのような埋伏歯(まいふくし)や不正咬合が生じてしまっているのだと著者は指摘します。ふむふむ。
また、虫歯が増えた理由については、
問題は、ジャングルで人骨をすぐに腐食させてしまう酸性土壌と同じく、ヒトの口内もどんな種類の糖を食べても同様の環境になることにある。 page 79
穀物は炭水化物なので、糖類とデンプンを含みます。
そしてこれらが口内の環境を酸性の状態にしてしまうということらしいです。
また、口内に存在するミュータンス菌も農耕がはじまった頃から進化し
「糖の代謝と耐酸性」にかかわる遺伝子を持つようになったのだ。page 80
もはや口内では、怖いものなしの存在へと。
こうして私たちの歯はつねに
「酸性」と「虫歯菌」
の危険性に晒されてしまっているというわけです。
こうなると抗うこともやめたくなります。。
長くなりました。はい。
最後に、農耕と同じ時期にはじまった家畜についての興味深いお話を紹介して終わりにしたいと思います。
動物の家畜化にともなって乳への依存度が上がったのは、人体にきわめて最近の進化だ。
(中略)
当時、成人は乳を飲むことができなかった。初期人類は乳幼児期をすぎると乳糖の消化能力を失った。
離乳後は、進化上その能力が必要なかったからだ。page 92
よく牛乳を飲んでお腹を壊す人がいますが、進化のスピードで考えるとそっちの方が自然なのかもしれませんね。
食べ物と健康(と食品業界)について興味がある方は、こちらをオススメします。
Netflix「健康って何?」※予告編には字幕はありません。
こちらもかなりショッキングな内容を含んでいますが、QOLに役立つコンテンツだと思います。
さ、次回は第三部です!
第三部 西暦1700年〜西暦1910年
第6章 腰が痛い!
第7章 大気汚染
『サピエンス異変』を読んで〈第1部〉
ではさっそく、
第1部 紀元前八〇〇万年~紀元前三万年
第1章 ヒトは「移動」で進化した
第2章 「人新世」以前の身体
から紹介したいと思います。
この章で扱う800万年前とか3万年前とか、もはや想像できないと思います。私はさっぱりでした。
ただ、ヒト科が生まれた時から、ホモ属(ホモなんとかは数十種類あります)が生まれるまでの間の期間だと考えるとわかりやすいかもしれません。
むかし教科書に樹形図みたいなものであっちにいくとゴリラ、こっちが人みたいなものを見た記憶があると思います。それです。
ただ、これもかなり想像(仮説)が含まれているものだと知りました。なぜなら
とくに古いヒトの化石は頭骨であることが多い。(中略)
私たちが死者を埋葬しはじめたのはほんの約10万年前である。page 23
いくつもの奇跡が重なるような偶然でやっと頭骨が見つかるぐらいで、10万年以前のヒトについては骨以外の情報からも想像するものの、じつはほとんどわかっていないのだと著者は認めています。
古人類の運動パターンを知る最良の証拠は化石ではなく、2009年にケニアで発見された、約150万年前にさかのぼるとされる足跡だ。page 29
足跡からどんなヒトが居たのかを想像してみる、もうロマン以外の何物でもありません。
足跡の大きさ歩幅深さから、体重、重心位置、骨格、身長、性別などがわかり、それによって歩行シミュレーションをつくることができるかもしれません。
さらに子どもを抱っこしていたことがわかれば、それも初期のヒトの生活を知る非常に有力な手がかりになります。(見つかった化石が特別な状況下のものだったりすると、ややこしいのですが。。)
こんな感じで初期の人類を想像していくのだから、インターネットで調べればなんでもわかる時代ではないこともわかったりします笑
とにかくここで大事なことは、わかったことです。
わかったのは、人類の祖先が長距離の移動に適した足を持っていたということです。
霊長類の足だと木を登るのに最適化したものもあれば、物をつかみやすくなったものもあります。そしてヒトを除く霊長類に共通しているのは扁平足だということです。アーチがあるのはヒトの特徴です。
つまり人間の足は、移動のために進化したものだということです。
ヒトの足の形や機能はあらゆる点で最大化する。
すべての足指が縦方向に伸びるので、歩行サイクルの前半にアーチにたくわえられた推進エネルギーが後半に戻される。
縦に伸びる親指が歩行や走行時に最後のエネルギーを戻して歩きにバネを与える。
身体のモーメントと重みを使って運動エネルギーを発生する、じつに精巧なメカニズムだ。page37
走るのが好きな人は今すぐにでも外へ飛び出したくなるのではないでしょうか笑
(逆に普段から歩かないヒトは身体が非常にまずいことになっている、なってしまうという自覚が必要になりそうです。)
移動に適した足がヒトに何をもたらしたか
についてもわかっていないことが多いのですが、手が自由になったことで、ヒトがさらにヒトへと進化していきました。
ここですぐ器用な手先で火を起こしたり、狩りに使う道具をつくるイメージを想像してしまうかと思いますが、手は
page 31
と、自動運転技術さながらの感知器をもっています。
辻井伸行さんが今どの指がどの鍵盤の上にあるのかを知っているのは、こういった感触受容器が脳に信号を送り、マッピングができるからなわけです。
ヒトの特徴は、足と手だけに止まりません。
そう、コミュニケーションです。
ちなみに言葉は、猿もイルカも持ちます。カラスも特定の音域で意思伝達を行います。ヒトが他の生き物と違うのは
ディープ・ソーシャルマインドとは、互いの心を読みとる、ヒトに特有の能力のことだ。
それは自分の頭蓋骨の周辺で終わることなく、他者の頭蓋骨まで入りこむ心とでもいえよう。
この能力がヒトとほかの霊長類で異なるのは、ヒトではそれが完全に再起点である点だ。
他者の意図を読もうとする類人猿の行為は、悪だくみと自己利益に動機づけられているので、ループが個のレベルで閉じる。
ヒトはループを開けたままにして相互作用を可能にする。
「私はあなたの意図を読み、私の意図もあなたに伝える」のである。
これがヒトのコミュニケーションと共同体の本質だ。page 32
ちなみに相手の目を見て相手の考えがわかる(と思う)ことができるのはヒトだけだそうです。(ゴリラは白目がまぶたに隠れているので、視線の先がどこかもわからない。まじか!)
まっすぐ立つことを可能にする足と尻の筋肉の物語は、人新生の身体にたどり着く旅のはじまりだ。page35
ここがスタートになりますのでよく覚えておいてください。
現代(ゴール?)がいかに私たちの身体に不自然であるかを理解するのにとても重要になります。
ちなみに本書によれば初期の人類は1日に8〜14キロ移動したそうです。
可動域はフルに使わなければ失われるし、エネルギーを人体や腱にためる能力も利用されなければ失われる(中略)。page 51
歩くことが減った代わりに私たちが日中ほとんど行っている
現代生活では椅子に座ってくつろぐのがふつうだが、ヒト科は200万年以上にわたって椅子に座ることがなかった(中略)。page 51
と、椅子に座る行為そのものが自然ではないことがわかります。(人間工学に基づく椅子は理論上存在しえない。正しい姿勢なんかそもそもない。)
こうなると私もこのブログを書くのを止め走り去りたくなります。。
おあとよろしく、次回は第2部を紹介したいと思います!
第2部 紀元前三万年~西暦一七〇〇年
『サピエンス異変』を読んで
ファイナンシャルタイムズの「2018年ベストブック」に選ばれた本の紹介です。
文量も多いので、複数に分けて感想を書いてみたいと思います。
まずさっそく原書のタイトルですが
PRIMATE CHANGE
(霊長類 変異)
How the world we made is remaking us
(世界がどのように、私たちの身体を作り変えてしまったか)
これがそのままこの本のテーマになっています。
私たちはあたりまえですが現代にしか生きたことがないため、なかなかこのことに気付くことができません。
この本ではいかに現代社会が、人の身体的特徴を無視してつくられてしまったかということを、いくつもの事例を用いながら説明しています。
たとえば現代、
生まれて数ヶ月の赤ちゃんが靴を履くことはなにもおかしなことではありません。お祝いのギフトになっているものも見かけます。
しかし靴を履くという行為は、人類の歴史の中ではほんのつい最近始まったことです。
ホモサピエンスの登場が10〜20万年と言われていますが、"現代の靴" を履くことが当たり前になったのは、ここ数十年です。
怖いのが、靴を履くことでかかとはつま先より平均で1cm以上高くなり、それが本来の歩き方とは異なる歩き方を強制してしまうことです。
重心の移動ルートが変わると、使う筋肉や骨格さえも変わってしまいます。一昔前に扁平足というものは存在しませんでした。
行動パターンなんかはまさに今、現在進行形で変わっています。
ボタン一つで、だいたいの物が玄関まで届きます。最近ではリモートワークにより人と会うために出かける機会も急速に減少しつつあります。
結果、歩くという本来の動作が減っています。
では何をしているのか?(これは非常に大切な問いですので、次回書きたいと思います。)
動物種は、軟体動物、ヒトデ、トンボのように、進化したのちに停滞することもある。page 232
なんだか火の鳥〈宇宙編〉を思い出させます。ヒロインの女性が醜い植物にメタモルフォーゼした姿に、幼少だった私はひどく落ち込みました。
進化の方向に正解はなく、環境に適応した特徴が結果として正解になると考えられています。ただ人が生きている間にその体が現代の環境に適応するには、変化のスピードが早すぎるのだと著者は指摘しています。
そして、この急速な社会の変化に犠牲になっているのが身体です。
変化に適応しきれないことからあちこちで「痛み」や「病気」として悲鳴をあげている、これが今まさに私たちの身体に起きていることだと。。
余談ですが、私は現代の人が抱えている腰痛や過食によって起きる様々な病気は、基本的に個人の責任によるものではないと考えています。
狩猟民族から農耕民族へ、富を貯蓄できるようになった時から人はこの宿命を負ったのだと理解しています。だからある意味仕方がないことなのだと。
しかし達観できるほどの余裕がないくらい、私たちの身体は急を要しています。
(私の腰は、いっこうに私の説明に耳を傾ける気配はありません)
私はこの本に出会い、現代(異常な時代)をいかに無意識に(無防備に)生きていたことに気づくことができました。1ミリの誇張もなく。
(私の腰も、いつか私の説明を受け入れてくれる日がくると信じていました)
良書なのでぜひ手に取って読んでみることをお勧めします。きっと多くの気づきがあると思います。
しかし残念ながらじっくり読むには時間がかかる本でもあります。次回から1部ごとに第5部まで紹介したいと思います。
プロローグ―私たちの身体に異変が起きている
第1部 紀元前八〇〇万年~紀元前三万年
第2部 紀元前三万年~西暦一七〇〇年
第3部 西暦一七〇〇年~西暦一九一〇年
第4部 西暦一九一〇年~現在
第5部 未来
献血をサービスという視点で考えてみた
久しぶりに献血をしてきました。
輸血用の血液が慢性的に不足して言われていますが、このコロナ禍により人が外出を控えるようになり、ますます不足しているとのことです。(待合室含め)中の状況はプライバシーの関係もあり撮影できませんでしたが、人がまばらにいる感じでした(それでもいることに驚きました)。
輸血はなにも突然の事故だけでなく、自らが血液を作れない病気の人のためにも行われます。1回の輸血で数十人分(1人分400ml)の血液が必要になることは特別なことではないそうです。
余計なお世話ですがどうしたら献血をこれまでより多くの人にしてもらえるか、について考えてみました。(すこし不謹慎な内容も含んでいるため不快に感じる方もいると思います。)
献血をする人は「誰かのために、、」という気持ちが強いと思います。無料のお菓子やジュースを目的に来る人はそう多くはないと思います。
献血することを通じて社会との繋がりを感じる、We are not alone というのが、たぶん一般的な献血の対価だと認識されていると思います。
でも果たしてそれだけでしょうか。
中には注射を打たれる時のスリルがたまらない人、献血している最中に感じる無力さに快感を覚える人、看護師さんに介抱されることが好きな人、(不謹慎ですが)若い看護師さんとの会話を楽しみたい、眠いからエアコンの効いた部屋で横になりたい、漫画が読みたい、お菓子とジュースが食べたい飲みたいなど、同時に得られる対価(=価値)は他にも多く考えられます。
しかし私にはそれらが十分に気づけていないような気がしました。
声を枯らして道ゆく人に献血をお願いすることも、プレゼント企画を一生懸命考えることも意味はあります。ですが、もう少し大きな視点で考えることが大切だと思います。
残念ながらプレゼント企画はもので釣ろうとも見え、逆効果なんじゃないかなという気がしました。献血という行為を物々交換にしてしまえば、献血者は間違いなく減少します。見え方には十分に注意することが必要だと思います。(記念品はもっと洗練できる!)
献血という行為は健康な方であれば誰でも対象になりえますが、現実にはごく限られたリピーターが支えていると言っても過言ではないと思います。
だれが何の目的に来ているか、もっともっと観察していく必要があると思いました。
もうちょっと具体的にすると、それぞれの人がどんな価値を交換しているか、ということになります。
会場によって年齢や性別、職業にばらつきがあると思います。
ターゲットを明確にしていくことで、できることや優先順位が変わることがあります。
例えば、横になれることに価値を感じている都会のサラリーマンがいるとします。その人にとっては受付でこれでもかと質問されることは嬉しいことではありません。あらかじめ専用のアプリで回答ができ、着いたらすぐ始められる(横になれる)ことができたら、おそらく献血体験全体の満足度が上がると思います。
また、看護師さんとの会話を楽しむことに価値を感じている人であれば、献血中ずっと放って置かれたらつらいでしょう。話し相手は女性が良いのか、男性が良いのか、若い人、または人生の相談ができそうな人、ではどんな話題が良いのか、など普通のサービス業で行っている感覚を持つだけでも違うと思います。
誰がなんのために来ているのか。
デパートの中にある献血ルームとオフィスビルにある献血ルームとでは、来る層は確実に違うはずなので、もっとエッジを効かせても良いのではと思ったりもします。
献血を崇高な行為とみなさず、もっと世俗的で、ずばり原始的な価値も交換されていると捉えれば、見方はだいぶ変わるのではないでしょうか。
金銭の授受が行われないので特別に考えてしまいそうですが、同じようなことは世の中いくらでもあります。
このブログもそうですし、アマゾンのコメント欄に感想を投稿することなど、無償で時間と労力が費やされていることが世の中多々あります。そこではお金ではない価値が交換されているわけです。
何が交換されているのか。
価値は目に見えないので簡単に見つかるときも、そうでないときもあると思います。
ちなみあのファブリーズは発売してしばらくまったく売れなかったそうです。(ペットを飼っている人や喫煙者の利用を想定したものの、においに慣れてしまっていたため、需要がなかったとのことでした。)
あの世界のP&G社でさえ、見誤ることがあるわけです。ただすごいのは、そこからヒットさせたこと。。
思いこみすぎず Try & Retry、なんでもこのへんのバランス感覚が大事なんだと思います。ぜひ献血を。
スタディサプリについて思うこと
スタサプは、月額1,980円で小中高、大学受験に必要な5教科18科目の神授業が見放題
しかも
100万人の受講データで磨き上げた「神授業」を、塾や予備校・通信教育を圧倒的に下回る料金でご提供(HPからほぼ抜粋)
という、まさに時代の申し子のようなサービスです。
コロナ禍で学校に行けなかった時期に、我が家も中一(12歳)の娘と小三(9歳)の息子が、そして、2ヶ月後に父(77歳)が会員になりました。
授業の質は、大人の私が見ていても感心するほどわかりやすく、よくこれだけの授業を収録したなと、思わずため息が出てしまうほどのクオリティです。
近い将来、これを授業で流して、先生はわからない人をサポートするという形態が主流になってもおかしくないと思いました。もしかしたら、すでにそういった取り組みがあるのかもしれません。
ただ、親として、本当のユーザー(お金を払っている者)として、気づいたことを書きたと思います。
毎日メールで、子供が前日に試聴した時間と、確認テストの正答率が届きます。
ですがぶっちゃけ、これは何のため?
という感じてしまっています。
ほとんどの親は子供の勉強を管理できるほどの時間がないという発想が必要だと思います。きっと、送られてきたメールを見て、子どもと一緒にテキストを開ける親がどれぐらいいるのか、なんだと思います。
簡単な話、私の場合は、自分の子供が全行程のどのあたりにいて、どの問題にぶつかっているという情報が欲しいわけで数字そのものには興味がありません。
できればそれをきっかけにして、子供と会話ができるのが理想だと思います。
「昨日全問正解じゃん!」とか「あれ、なんか点数悪かったみたいだね」というものが続けばモチベーションの低下にしかつながらないですし、毎日届くメールを見て、あー子供の教育にちゃんと向かい合えていないなーと、と感じさせるものだけではもったいない。
スタサプには、個別指導コース(9,800円)があります。
こちらは学校の予定に合わせてカリキュラムを組んでくれたり、担当のコーチが専用のSNSで声がけを行ってくれたり、テストを採点してくれたりします。
これらは子どもが直接コーチとやりとりするので、大人が関与することはありません。
もちろんやり取りなども確認しようとすればできますが、我が子であっても親がそのやり取りを監視するようなことはしたくないのが心情だと思います。また、そこまでの時間も労力も、かけられないのが現実だと思います。
なので1と相まって、見えないというか、見えにくい。
塾であれば保護者面談もあるので、先生から直接状況を聞けることで安心もできるし、場合によっては救いもあります。
個別指導コースに求められているものは、学習者だけでなく保護者とも個別に接する必要があるように感じます。口コミを探しても、見つかるのは親の不満ばかりな気がします。(そもそも子供は投稿しないで仕方ありませんが。。)
ですが、そこは同時にビジネスチャンスでもあると思います。
なぜなら、継続を判断するのは親だからです。
ここを改善するだけで、すでに塾よりも安価に提供できる仕組みがあるわけですから、塾に負けない圧倒的な力を秘めていると思います。
私の父(77歳)はターゲットではないでしょう。
ですが、私が見てもフレンドリーなインターフェイスとは言いがたく、ましてやワクワク感はまったく感じることができません。(狙っていないと言われてしまえばそれだけですが。。)
ただ(極端な例かもしれませんが)私は父に使い方を教えるために、3週末連続実家に通うはめになりました。
まさかそこまでわからないとは思いませんでしたが、やはりインターフェイスに問題があることは、もうちょっと研究して欲しいなと思います。
また、ゲーミフィケーションの要素があると良いと思います。
ゲーミフィケーションは言ってしまえば意図的に感情をコントロールすることだと理解しています。
RPGであれば試練を与えて、挫折を経験させ、努力させ、乗り越えさせる。
それを計画的に作り続け addict させるわけです。
もちろん勉強のプロセス自体がそれらの組み合わせですが、せっかくなので、日々の勉強にもその要素があるといいなと思います。
スタサプのライバルは、他のオンライン教育や塾や通信教育だけではありません。
ゲームそのものがありますし、YouTubeやSNSもあります。
すべては時間の奪い合いですのでそれらに負けない(教育のジャンルでしかできない強みを活かし)圧倒的なサービスを、できれば世界初でつくって欲しいなと思っています。
教育界の任天堂へ
授業は、私が学校で習っていた時を思い返せば神々しいぐらいです。
なので、期待を込めての投稿でした。
Amazon Prime Wardrobe の体験について
Try Before You Buy 〜あなたのお部屋を試着室に〜
2018年10月25日開始のサービスなので、すでにご存知の方も多いと思います。
サービスとしては、注文して気に入ったものだけを残し、残りは返品OK。言葉にしてしまえばそれだけのことなのですが、今回初めて試してみて、これまでに体験したことのない価値を感じました。
サービスは目に見えるものですが、価値は感じるもの。
どこがどうアマゾンらしくて、リアル店舗が対抗するとしたらどんな手があるのか。大袈裟かもしれませんが、アマゾンが未来を作っているのだとしたらどんな未来が来るのか、よくよく考えておく必要があると思いました。
これまで試着できることこそが、リアル店舗の強みだと思っていました。
ですが、家で試着することを体験してみると、いかにお店で試着することがストレスフルだったのかを思い知らされました。
↓ストレスの原因(いつもじゃないです)
1. 店員さんとの会話
2. 待たされること
3. 狭い試着室で着替えをしなければならないこと
これらは私が毎回意を決して買い物に臨んでいた理由を雄弁に説明してくれます。(多分、どんなに洋服が好きな女の子でも、これらの体験を望んでしたいとは思っていないはず。)
そして今回、私が感じた最大のメリットは。。
4. 合わせようと思っている服と合わすことができること!
でした。
このことは買い物に対する価値観を一変させるものでした。つまりハズレ率を限りなくゼロに近づけられるわけです。
つまり、家で試着できることで
ネガティブな体験を無くしつつ商品が一気に試せ、また合わせようと思っている服と合わせられる価値を同時に提供しているわけです。
ちなみにこれらの価値は私が勝手に感じたものです。人によって別の価値を見出しているかもしれません。
一方で、家で試着できることも良いことばかりではありません。
限られた数(届いたもの)しか試着できないというデメリットがあります。
リアル店舗であれば、お店の状況にもよりますが、基本的にほとんどの商品を試着することができます。
また、お店だと視界に広がる商品群の中から選ぶことができますが、アマゾンができることは、先進のアルゴリズムで消費者が買いそうな商品を表示することです。
なので、商品の見せ方(怒涛の陳列表示)、選択肢の幅、限界試着数に、店舗が優位性があると思います。
また、ここで家で試着した時にもっとも苦労したのが
・自分と相談して決める
ということ
結局のところ、私が普段買わないような商品にチャレンジする気にはならず、妻にアドバイスを求め最終決定しました。
買い物という体験は簡単なようで奥が深く当たりは外れではないとは限らないということ。。
アマゾンには商品レビューがあり購入前には必ず確認をしますが、実際に私が試着したときの感想を第三者に求めるということができません。
お店であれば、聞けばその場でフィードバックをもらえます。これも店舗で買うことのメリットです。
また、意外な組み合わせを提案できることや、商品特性を相手の興味に合わせて話すことができることもお店に優位性があります。
使用目的、価格帯、好みの色、フィット感など、関心が高いものを説明してもらうことで、納得のいく買い物ができると思います。(ジャパネットの価値はアドバイスにこそあり)
店舗だからこそできる見せ方、提案の方法、上手なフィードバックによる良質な体験こそが、生き残る(スケールできる)方法だと思います。
妻の一言「裏もかわいい」が決め手に。(私だけだったら選んでいない。)
ここまでの内容を整理してみます。
◯ リアル店舗の強み(アマゾンが弱点をどのようにカバーしているか)
・見せ方に工夫ができる(ビジュアルの工夫やスペックの比較表示)
・提案の仕方に工夫や意外な提案もできる(オススメ商品を表示)
・その場で試着できる数が多い(現段階では最大6点まで)
・その場でフィードバックが得られる(商品レビューの掲載)
✖️ リアル店舗の弱点 (アマゾンの強み)
・スタッフのばらつき(膨大な情報と均一のサービス)
・試着室が狭い(家の中が試着室)
・実際に合わせたい服と合わせることができない(できる)
何も今すぐ世界が変わるということではありません。が、未来の方向性はしっかりと認識しておかないと正しく戦うことができません。
それぞれの良さと弱点を補うことが大切なのだと思います。
つきつめるとリアル店舗の最大の強みは「店員さんとの人間関係」
リアルな欲求なような気がします。